10年前、J1参入3シーズン目を戦うモンテは、確か第2節?か3節目の新潟戦に向かう途中だったと思います。結果的にコバさんの最終采配になったシーズンでした。
飯豊町の道の駅辺りで地震に遭遇し、結局イレブンは新潟には滞在せず、山形に戻ったのではなかったでしょうか?
その後Jリーグはしばらく中止になりました。サッカーを通して見ても、本当に苦しい出来事でした。
父は転勤のある仕事です。当時、当然その時の職場で地震に遭遇しました。経験したことのないような強い揺れ、そして長い長い揺れの記憶は今でも鮮明です。
揺れが収まってすぐ、テレビのスイッチを入れました。東北だけではなく、関東でもかなり揺れた様子が出ていました。
そうです。当時父が務めていた職場は、停電にならなかった地域にあったのです(^^;)。
そのためにその後、地震後数十分たってから、東北沿岸に次々と押し寄せる津波の様子をテレビのLIVE映像で目の当たりに見ることになりました。
岩手県で防潮堤を超える津波、宮城県でビニールハウスをなめるように破壊していく津波。皆LIVEで見ることになりました(-_-)。
本当に絶句でした・・・・。
夕方6時過ぎに帰宅の途につきました。途中までついていた街灯や家々の明かりも、ある地域からぱったりと途絶え、暗闇になりました。
帰宅した自宅は当然真っ暗闇、暖房は石油ストーブが1つ、なんとかあったぐらいでしょうか?寒かったです。ろうそくの灯りのもと、プロパンガス炊飯器で炊くことが出来た暖かいご飯が身にしみた記憶があります。
父母、息子娘、家内などは、地震後すぐに停電に遭遇し、そのため津波の映像は見ていないようでした。ある意味よかったか?なんて思っていました。
翌日、天気はよかったのですが、停電が続きました。震災の情報は、ラジオと残電池を気遣いながら時折つけたガラケーのワンセグで得ていました。
二日続けての停電の夜か?と覚悟した夕方6時過ぎ、ようやく電気が通り、暖かい暖房、暖かい風呂、暖かい夕飯をいただくことができました。電気のありがたみが身にしみた瞬間でした。
その後もガソリン・灯油不足などが続きましたが、私どもの辺りは人的・物的被害がなかったのが幸いでした。
もっともっと辛い思いをした方が多数いらっしゃいますが、父的にもこの地震は未曾有の出来事でした。
あれから10年。今はコロナとの戦いです。また違った辛さがあります。
でも、それが人生なのでしょう。簡単に言ってしまえば、人生色々、山あり谷あり、一寸先は闇、楽ありゃ苦もあるさ なのでしょう。
自然災害などは、自分の努力だけでは何ともならないわけですが、辛い思いをしたらその分、自分の努力で、少しでも幸せな瞬間を回収できればよいですね。
そんな心構えで日々かんばりたいと思います。
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