いや~、湘南戦がアデイショナルタイムに決勝点が入ったのは当然覚えていましたが、
父 「まさか今日は入らないだろう、なんとか引き分けて!」
と思ったいた矢先の、まさに残り数十秒での瀬沼選手の決勝ゴール!余りにも劇的な幕切れでした・・・・・(@^^)/~~~
これで、今季のモンテの戦い方が確立したように思います。
モンテはなかなか得点力がないので、基本は90分間の粘り強い守備がベースになります。そして、その90分のどこかで、虎の子1点を挙げ勝利する。これが今季の戦い方になりそうです。
今日で8勝目を挙げましたが、全て1点差。5位浮上も得失点差が3しかないというデータから、守備重視な戦いになっていることがうかがえます。
今日の実況でもたびたび話されていましたが、「我慢」なサッカーです。
こうなると、我が山形が生んだ偉大な実業家、「おしん」が思い出され、「おしんサッカー確立」となってしまうのです・・・・(^^;)。
迷わず「おしんサッカー」で、突き進みましょう!となります。
ただ、自称「おしん研究家(本編4回は視聴)」の父から言うと、「おしん」=「我慢」ではないことは語っていなくてはなりません(^^;)。
少女時代のおしんに、俊作あんちゃん(中村雅俊さん)が、
俊 「お前、なんて名だ?」
お 「おしん。」
俊 「おしん坊か、いい名だ。おしんのしんは信じるのしん、信念のしん、心もしんと読む。一番大事な芯棒のしんでもあるし、ものの真ん中を芯というのは、そのしんでもある。新しいもしんだし、真実のしんでもあるし、辛抱のしん、そうだ、神様だってしんだ。お前、こんな素晴らしい名前をつけてもらってるじゃないか!くよくよしてると名前が泣くぞ!」
と語っており、「しん」が「辛抱」のしんでないことは明らかです(^^;)。
さらにおしんの人生を見ると、7才前後で奉公に出ますが、結局勤めきれず、その奉公先を勝手に飛び出します。半年間、脱走兵の俊作あんちゃんと暮らした後、酒田の加賀屋に行きます。奉公人なのに、娘同様の扱いを受け、教養をざすかりました。しかし、その恩も省みず、お見合い相手をいやがり、東京に出ます。
東京では、髪結い、結婚、羅紗問屋のかみさん、子供服製造と、やりたことをやります。ただ、関東大震災で、工場がつぶれるとやむなく旦那の実家に行きます。
旦那の実家では、長女の死産という目に遭いますが、それに耐えきれず、たった2年で旦那を捨て、旦那の実家を出ます。その後、酒田で飯屋をしたり、伊勢で魚屋をやったりと自分で活路を見いだしています。
そして戦争、確かに長男と旦那を失いますが、それは、当時、ありがちなことだったのかもしれません。
そして終戦後、二男が嫁をもらいました。おしんは、常々、
「私も姑には苦労した、できない辛抱をしてきた。」
と、か語っていたのですが、おしんは先にも述べましたが、たった2年しか姑勤めはしていないんですよ。
それに比べれば、おしんの二男の嫁は20数年もおしんに使えたわけで、この嫁の方がよほどおしんに献身的に働いたのではないかと思います。
このように見ると、「おしん」の人生は「辛抱」ではなく、「結構、自由にやってきた。」です(^^;)。
だから、モンテのサッカーを、「おしんサッカー」と表現するのは適切ではないような気もするのですが、世の中では、「おしん」は「辛抱の人」となっているので、モンテも「おしんサッカー」でがんばってもらいたいと思います(^^;)。
なんだか話が逸れてしまいましたが、「粘り強い戦い」が今後のモンテの戦い方になりそうです。
今日の勝利で、いよいよPO圏内浮上です。このまま突っ走ってほしいです。やるしかない!頼んだぞ!モンテイレブン!
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