そこで、始めた商売が、なんと、今ではNDスタの名物グルメとなった、「どんどん焼き」を売ることだったんです。的屋の総元締め・山形出身の健さん(ガッツ石松さん)に進められて始めたようでした。これが証拠写真です(^^;)。
おしんが露天で、親子連れを相手に、「どんどん焼き」を売っている様子です。割り箸で巻くという文化はまだないようです。フライ返しですくって、厚紙のようなものにのせて売っています。
山形が産んだ偉大なスターおしんが、NDスタ名物「どんどん焼き」を売っている偶然?が信じられず、ネットで調べて見ました。
ウィキペディアによりますと、どんどん焼きの解説は、
ウ 「どんどん焼きはもんじゃ焼きが変化したものである。どんどん焼き専門店「COCO夢や」店主は、2010年5月17日の「秘密のケンミンSHOW」にて、大正時代の江戸にはお好み焼き風のおやつがあって、これを参考として大場亀吉が山形に持ち込んだという。
名称は、同商品を売る屋台が「どんどん」と太鼓を鳴らしていたことから、あるいは、作るそばから「どんどん」売れたことから名付けられたとされる。
1931年(昭和6年)頃、東京の屋台や縁日で「どんどん焼き」が評判になっ。その後、昭和前期頃までは東京・下町界隈などでもよく見られた。」
BSの現段階のおしんは、関東大震災の翌年の設定ですから、大正13年頃でしょうか?上の文献を見ると、昭和6年ごろ評判になったとあるので、おしんは、すでにその数年前に「どんどん焼き」を売っていたことになります。
今のNDスタの「どんどん焼き」があるのも、大正末に、おしんが東京で売ってくれたからかもしれませんね(^^;)。やはりおしんは、山形の恩人だったのです。
えっ?おしんは架空の人物だろう?それはそうです。が、今季、「信 深 神」 をスローガンに掲げるモンテのお膝元の名物グルメを、これまた「しん」の「おしん」が売っていたという偶然事実には、もはや偶然では片づけられないロマンを感じます(^^;)。皆さんはどう思いますか?
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