2013年2月24日日曜日

やはりおしんは辛抱していなかった?第7週の感想

 まず、先週、おしんは酒田の有力者の二男坊と結納したのに、今週おしんはその話をご破算にしました。背景に浩太への思いがあったうようです。

 結納をご破算にするということは、加賀屋の大奥様や若夫婦の顔をつぶすことになります。大奥様が、ご破算にならないように取りなすと言っているにもかかわらず、それをやってしまいました・・・・・(-_-;)。

 しかも、お加代様が浩太と家を出たのを大奥様や若奥様に黙っているのは、おしんにとって、「針のむしろ」だと言って、加賀屋をやめてしまいました。つまり、おしん自信が耐えられなかったんです。でも、やめる理由は縁談を破談にしたからと言っています。

 加賀屋に8年もお世話になり、大奥様に花や茶道、帳簿のつけ方を指南され、また、奥の取り仕切りを任された大恩ある加賀屋をこのような形でやめるとは・・・、おしんは辛抱できない人間のようです。

 その後おしんは、実家に帰りました。山形の飲み屋の酌婦として3年間の年季奉公が決まったようです。が、病気で戻ってきたはる姉ちゃんに、その口ききやが信用ならない人間だと聞かされ、東京に行けと言われると、その通りにしてしまいました。

 はる姉ちゃんの意志をついで東京に行くと言ってはいましたが、結局すでに約束してしまった酌婦になる契約を無視して東京に行くことになったのです。おしんは、「雇われるのはいやだ、腕一本で生きていきたい」と語っていました。

 ここでもおしんは、酌婦に辛抱できず東京に旅立ったという感が強いです。やはりおしんは辛抱が苦手な人間だったようです(^^;)。8年間、製紙工場で働いて結核で命をおとしたはる姉ちゃんの方が、「おしん」にふさわしい人物だったのかもしれません・・・・(^^;)。

 モンテのサッカーを、「おしんサッカー」と言っていたのは、なんだが間違いだったような気がしてきました(^^;)。

 追伸
 ところで疑問。おしんの本名が、「谷村しん」であることは、先週の浩太からの封書ではっきりしたのですが、なぜ「おしん」と呼ばれていたかです。姉の「はる」や「みつ」は、「おはる」、「おみつ」と呼ばれず、「はる」「みつ」です。なぜ「しん」と呼ばれず「おしん」と呼ばれたのか?そういえば、おしんのお母さんは、「おふじ」と呼ばれていますね。

 えっ?そんなことはどうだっていいだろうーーー?ですよねーーー(^^;)。

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